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本にまつわるエトセトラ。

◯◯好きに悪い人はいない説

タイトルみたいなこと言う人が割とたくさんいて、それぞれみんな本気かどうかは知らないけど、なかなか真剣に言ってる人もいるようである。かく言う私は読書とか弓道とか野球観戦とか観劇とか趣味だけど、はっきり言って、絶対そんなことない。

 

1.読書

本好きに悪い人はいない

いやいや嘘やろ。ものすごい頭脳明晰で大量の本を読んでてサイコパスみたいなの、映画やドラマでもテッパンですよ。だいたい文豪と呼ばれる大作家とかも人間としてはろくなのおらんではないですか。そう言えば少し前に立ち読みした本の雑誌に「文豪とはなんだ?」っていう特集が組まれてて、面白かった。その特集でも結論としては人としてダメ、というのがポイント高いとされてた。やっぱり文豪はダメ人間に限る。

 

2.弓道

弓好きに人に悪い人はいない

あり得ませんね。だいたい弓矢というのは狩るための道具であり、さらに言えば近代弓道の祖は戦争で使う、つまり人殺しを目的とした弓矢である。さらに言うと練習や試合で使われる最も一般的な2種類の大きさの的、尺ニ(一尺二寸、約36センチメートル)と八寸(約24センチメートル)の大きさの由来が、人間の上半身(胴体)と頭部の大きさだという説もある。我々は普段の練習からして、人を殺す練習をしているのだ。悪い人がいないはずがない。だいたい私だって善人というには程遠いんだからな。

ただどうしても、これは人間の性なのかも知れないが、すごくきれいに弓を引く人をみると「美しい・・・」と思い、なんとなく美=善みたいな気持ちになるのも事実である。これって結構ありがちだけれど、冷静になってみるとそんなことないですよね。事実私の後輩にものすごく上手に弓を引くのに人としてはどうしようもない奴がいて、私なんか彼が弓を引くのを見て「おしいなあ、これで人格がもう少しまともだったら・・・」と思うことがしょっちゅうあるのだ。残念。

 

3.野球

残念でした。洋の東西を問わず、野球選手(元、現役含め)、犯罪者がたくさんいます。どんなに名選手であっても。ほんとうに残念だし、自分で自分の栄光に傷を付けていくのを見るのはとてもせつない。

 

4.芝居

3に同じ。ほんとうに残念です。

 

書いていてふと思ったのだけれど、この「〇〇好きに悪い人はいない」説の裏返しみたいな形で、凶悪犯罪の犯人がアニメを好きだったとか、ゲームは悪い影響があるとか、そういう言説が発生しているのではないだろうか。〇〇好きな人は良い人の裏返しは、〇〇好きじゃない人は、良い人じゃないということになる。その流れで、自分と趣味が合わないとか、理解できない趣味を持っている人に対して不愉快に思ったり、敵みたいに感じたりすることがあるのだろうか。何か悪いものと対峙したときにその原因を探りたくなる、ということもあるのだろうか。どうして悪が生まれたのか、みたいな。

それでこの話はたぶん、人間のいろいろな問題につながっているのだ。人種、宗教、性的嗜好、趣味や興味、思考や哲学、とにかく人は自分と違う属性をもつ人に対し、恐怖を覚えたり敵とみなしたりすることがあって、それが人間の歴史の中で大きな軋轢を何度も生んでいる。過去あんなに失敗しているにも関わらず現代になってもそんなことを言ってるところを見ると、人間が人間を滅ぼす日も近いような気もしてくる。

多様性、ということばが最近よく聞かれるようになって、多様性という言葉自体には何にも恣意的な意味はなくて、ただ物事が多様である様をあらわしている非常にニュートラルな言葉だと思うのだけれど、今、流行っているのは「多様性を受け入れよう」みたいな意味のものが多い。もちろん多様性はすばらしいことだ。われわれ人類が受け入れるか受け入れないかなんて多様性にとってはどうでも良いことだと思う。人類が受け入れようと、受け入れまいと、生物は多様であるし、そうして繁栄してきたのだ。何でこのごろになってそんなこと言っているのかよく分からないのだけど、「自分と違う」ことを「理解する」必要なんてないのにね。どちらかというと、理解できないことを、ただ「へえ、そうなんだ」「そういう考え方、生き方、あり方もあるんだね」って思って、尊重すれば良いだけなのにね。もっと進んでる人はそれを「面白いね!」って思えたら最高だと思う。

 

というわけで、なんについて書いてるかわからなくなってきたのでこの辺で終わりにします。とにかく〇〇好きに悪い人はいない、というのは嘘です。大嘘。みんなで本でも読みましょう。そのことがよく分かります。

 

 

本の雑誌423号2018年9月号

本の雑誌423号2018年9月号