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本にまつわるエトセトラ。

人と読んだ本の話をすること、先生の話。

先日も書いたけれど、本を読むのは小さい頃からの趣味である。もはや習慣と言っても良いかもしれない。でも、本を読んだことについて、また読んだ本の感想などについて、友人や家族や他人と話す、というのは中学生になるまであまりしなかった。きっかけをくれたのは中学2年生の時に担任になった伊東先生だ。

伊東先生は見た目は典型的な「おっさん」で、髪は白髪混じりで小太り、息はタバコ臭く、中学校教師のくせにたまに酒臭い時があるという今の時代ではちょっと考えられないような中身もおっさんの教師だった。しかもちょっと色の入ったメガネをしていた。どう見てもカタギじゃない。スマートでもない。担当教科は国語。私は読書量だけは人一倍あったので、国語の成績は常に良く、当時の同級生が読んでいたような本よりも少しませた、文学作品なんかを読むようになっていた。

ある放課後に、どういう話の流れからか全く思い出せないのだけれど、私は伊東先生と、シャーロック・ホームズの話をした。私は小学生のうちに全作品を読んでしまったほどのホームズファンで、さらにその当時NHKでやっていたイギリスのドラマ版シャーロック・ホームズの大ファンだった。とにかくホームズが格好良くて、完全にハマっていた。アイリーン・アドラーに本気で嫉妬するくらいには。今考えると完全な中二病である。年の頃も完璧だ。

先生は、そんな私に対して、なんと「俺はアルセーヌ・ルパンの方が好きだ」とふっかけてきた。その時の私の受けた衝撃といったら、皆さんの想像どおりである。今となってはそれが本当のことかは分からない。先生は議論のために仮にそっちの立場をとっただけかもしれない。けれどその時の私は完全に頭に血が上ってしまって、その後数日のあいだ、先生とルパン対ホームズの議論を戦わせることになった。もちろん私はルパンシリーズも読んでいた。モーリス・ルブランがルパン対ホームズの作品を書いているのも知っているし、当然それも読んでいた。私の主張は一貫して、どんなに貧しい人からは盗まず、悪い金持ちからしか盗まないとしても、しょせん泥棒は泥棒である、ということだった。どんなに美点を並べ立てられようとも、ルパンが稀代の大泥棒であることに変わりはない。一方でホームズは人格に難あれど、探偵であり、犯罪者を捕まえる、というその1点においてしょせん泥棒であるルパンとは雲泥の差があり、その差は他のどんな美徳をもってしても埋められるはずはないのだ。というようなことを散々述べ、伊東先生と私の議論はいつまでたっても平行線のままだった。

ある時から先生は、本を貸してくれるようになった。私が読んだことのないたくさんの本を(主に文庫本だった)次々と貸してくれた。最初は返すときに口頭で感想を述べて、それについて先生と話をするだけだったが、そのうち先生が1冊のノートを持ってきて、そのノートに感想を書くように言った。私は言われた通り、借りた本を読み、返すときにその感想を書いたノートと一緒に、先生に返した。すると先生からはその感想ノートにさらにコメントがついて戻ってきた。読書感想交換ノートの始まりである。この交換ノートは、卒業まで続いた。1冊の本の話で何ターンも続くこともざらで、今になって思うと、先生はたぶん、あえて私の感想や意見とは別の見方、切り口を教えてくれていたのではないだろうか。だから、たぶん最初のルパンのときも、先生は本当にルパンの方が好きだった訳ではないのかもしれない。

 

 先生の本音がどこにあったのか、もう尋ねることはかなわない。先生は、私が大学進学で上京し、そのまま東京で就職して、何年か経ったとき、亡くなってしまった。まだ若かったはずだ。先生の年齢を知らなかったけれど、私の担任をしていたとき、50は越えていないはずだから、たぶん60代で亡くなったのだと思う。たしかに不摂生が中学生にも分かる程見た目に表れていた。でも早すぎる。大人になった私と、老いた先生とで、もう一度本の話をしたかった。私は中学を卒業したあと、本当に大切な作家に出会えたのだ。その話もしたかった。あの時どうしてルパンが好きと言ったのか聞いてみたかった。先生のことだから、本当にルパンが好きだっただけかもしれない。それならそれで構わない。また議論できる。私は今もホームズ派だから。でもルパンの良さも、少しは分かるようになったんだ。あの頃ほどは、頑なではなくなったんだ。

 

 

ルパン対ホームズ 怪盗ルパン 文庫版第3巻

ルパン対ホームズ 怪盗ルパン 文庫版第3巻